DATE 2009.10.25 NO .



「へーか」

 その瞬間、頭の中が真っ白になった。
 セオドアの柔らかい頬に指を沈めたまま、ついさっきまでの思考を取り戻そうと目を閉じる。
 ――きしだんのさいへんとそれにともなうらいねんどよさんの……何だそれ?

「あらあら、この子ったら」

 くすくす笑いながらローザが手を伸ばすと、途端に興味は失われてしまったらしい。
 しかめっ面の「へーか」を顧みる事はなく、セオドアはすがりつくようにローザの腕の中に潜り込んだ。

「ははうえー」

 舌足らずな甘えた声音に、だが確実に打ちのめされている自分に気づく。

 何とも情けない自分の指が視界に入った。
 子供をあやそうとしていた手は今、どこか助けを求めるような形に固まった、まま。

「ははっ、手厳しいな」

 何とか笑って、その手を引いた。

 セオドアの小さな手は、知っている。
 この手が終ぞ知る事のなかったもの、肉親のぬくもりを。

 もちろん自分が受けてきた愛情の数々を、否定するわけではないけれど。

「ちゃんと聞いているものなのね」

 そう言いながらセオドアを見つめるローザの横顔は、「母」なのだと思う。
 ……たぶん。

「セオドア? この人はね、『父上』」

 ゆっくりと、噛みしめるように言い聞かせるローザの声は、子守唄のように染み入る。
 物心もつかない頃のそういう記憶が、彼女をそう在らしめるのだろうか。

「国の皆のために働くお仕事で忙しいから、なかなか会えないけれど。あなたの、お父様よ」

 きょとんとした大きな瞳が、
 ローザに指し示された方向にくるりと向けられた。

(……っ)

 こんな鬱屈した気持ちを見透かしてしまわれそうな、澄んだ目だ。

「……ちちうえ?」
「そう、父上。偉いわ、セオドア」

 ――と、下らない事に囚われていたせいか。

「えらい?」
「えぇ、とっても」

 いつの間にかあっさりと、自分にも親の呼び名が与えられている事にようやく気づく。
 意味もわからずただ反復しただけであろうセオドアに頬を寄せるローザを、呆然と見やっていた。

「えらい、えあい」

 楽しげに繰り返すセオドアの声。
 ……そうか、こんな風に笑うのか。
 執務から解放される頃には、疾うにセオドアは眠っている。
 まともに関わる事の出来ないまま、日々――

 ――違う。
 関わるのが怖いから、執務に逃げていただけだ。

「ちいうえ」

 ローザを見上げたまま、セオドアが呟いた。
 それから、また。

「えらいえらい」

 あぁ、確かにこんな悩みは無意味だったよ、シド。
 父親像なんて見えやしない、真っ暗な道程でも。
 ローザが、この子が――僕を導く鐘の音。
 他愛無いおうむ返しに顔が綻んで、初めて、自分が思いの外緊張していた事に気づくんだ。

「あまり構ってやれないけど……お前の目標になれるようにがんばるから、な」
「もくひょ、もくひょ」
「そうだ」

 お前のために、鐘をならせるように。







≪あとがき≫
 ぽんたさんに頂いたリクエストより、「セシロザ+セオドア」。セオドアの呟きがほのぼの要素という事で!
 ……このサイトの結論としては、終章前編でも、鐘を鳴らすのは彼ら。まぁいいじゃないか。
 後編から、パーティ皆を導く鐘の音が鳴り響くのです。そこで息子も、父親の不器用な背中教育に気づく、と。
 
 主人公は誰だよとか、ほんとに教育出来てたかどうかはさておきね!





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